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この年から、渡良瀬遊水池の谷中村跡地から竹の刈出しが始まった。芝焼きから間もないヨシ原を、「谷中村の遺跡を守る会」の案内で進む参加者たち。〔1999.4.4〕 |
谷中村跡地には、小高い場所に住居跡が点在する。足尾鉱毒事件の現地を見学するのにも、ヤブを開いて歩ける道がほしいとのことで、「竹の刈出し」というイベントが始まったわけである。〔1999.4.4〕 |
竹は小枝を払って、足尾で植えた苗木の支柱にする。「渡良瀬川にサケを放す会」の鴇崎さんは、愛犬とともに参加した。〔1999.4.4〕 |
谷中村の生き証人である大榎の前で記念撮影。ここ間明田粂次郎邸跡では、強制破壊を明日にひかえた1907年6月23日、残留民が集まり「最後の晩餐」が開かれた。〔1999.4.4〕 |
植樹会前夜の交流会。長かった足尾の冬も終わり、久しぶりに懐かしい顔が集まった。立松氏も足尾泊まりなので、夜おそくまで話に花が咲く。〔1999.4.24〕 |
第4回の植樹会は朝から雨だった。この日、神山会長宅には、朝5時から問い合わせの電話が鳴りっぱなしだったという。それでも、カッパを着た300人が集まった。〔1999.4.25〕 |
雨にも負けない300人は、泥だらけになりながらも1500本の苗木を植えた。脱帽である。この年から、カンパ、助成金、苗木などの提供が一段と増えてきた。また、児童・生徒の体験植樹も多くなった。 〔1999.4.25〕 |
第3回は大畑沢緑の砂防ゾーンへ戻っての植樹会。事前の説明を聞く参加者。右上に足尾製錬所と背後の山が見える。この年「足尾に緑を、渡良瀬に清流を」の旗ができる。〔1998.4.19〕 |
大畑沢緑の砂防ゾーンは建設省(現・国土交通省)の管理地、斜面の土留めは山腹工と呼ばれ、ここでは間伐材が利用されている。緑の筋状のものは、植物の種子を混ぜた土を入れた植生袋で、やがて発芽する。足尾の緑化事業では、よくみられる方法だ。第3回の植樹会には350人が参加、600本の苗木を植えた。〔1998.4.19〕 |
第2回の植樹会は、前橋に本部をおく「自然・文化創造会議/工場」との共催。植樹地は足尾ダムから4キロ上流の国有林。参加者は苗木や土をザックに背負い、煙害荒廃地を1時間かけて現地へ。写真は足尾ダム方面を望む。〔1997.4.20/石井雅義氏撮影〕 |
足尾と縁の深い作家の立松和平氏は積極的な参加を続ける。各地での講演会、エッセイなどに、しばしば足尾の話がとびだし、PR効果ははかり知れない。この日も参加者とともに汗を流して苗木を植えた。〔1997.4.2〕 |
第1回の植樹会を目前にして、宇都宮大学の谷本丈夫先生に現地でお話を聞く。「花見をしたいのか、森をよみがえらせたいのか」という言葉が脳裡に焼きつく。〔1996.4.14〕 |
足尾に緑を育てる会の初めての植樹会。主催者の予想を上回る160人が参加し、大畑沢緑の砂防ゾーンに100本の苗木を植えた。緑色はシカ除けのネット。〔1996.5.12/石井雅義氏撮影〕 |
秋の観察会の前夜祭は、フォルクローレを歌い上げるパパサラのコンサート。雨のため、テントの中での熱演。インターネット「足尾の森林」も放映。〔1996.9.15〕 |
足尾に資料館建設をめざす「わたらせ川協会」のメンバーが、「花見がしたい」と大畑沢緑の砂防ゾーンにサクラの苗木10本を植えた。これが、そもそもの発端である。〔1995.6.25〕 |
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